轻轻的,
我把晚风放进水里。
让它替我摇一摇,
岸边的野草。未来是今晚的蒹葭,
在雾里苍苍,
在月下微凉。
我只望它,
却终究不敢涉水。白露霜降,
是未寄出的信。
河水缓缓地流,
流过旧桥,
流过无人问津的夜,
流过孩子的哭喊,
流过破碎的家庭,
流过战争的号角。它一声不响,
只将一切,
带向很远——
很远的地方。有人在更远的地方呼喊,
灯火为她明亮;
而我早年的落水,
只惊起一圈,
悄无声息的波光。飞吧——
你是无家的孩子。
飞吧——
你早已不被寄望。轻轻的,
我不再解释。
风已替我回答,
影子也替我站立。轻轻的,
我的心也轻轻的。
仿佛从未沉没,
仿佛仍在向往。

私は、文学に見放された。椅子に腰を下ろし、筆を取ろうとする。
しかし、紙の上には一字も生まれてこない。
言葉とは書き手の子であり、思惟の影であるはずだが、その影すら今の私には映らない。私はこれまで、完成したはずの作品を幾度も疑い、直し、責め立ててきた。
書き終えたものですら、批評から逃れることはなかった。
思えば、最も凄惨で、最も美しいと思い込んだ文章を書いたのは、決まって心が最も傷ついている時であった。
その時の自分は、言葉をクレヨンのように扱い、痛苦を勝手に紙の上へ塗り散らしていただけである。そのような私を、文学が嫌悪したとしても不思議なことではないでしょうか。
冷静に省みれば、あの文章には深さもなく、文学性と呼べるものも乏しい。
美とは程遠く、芸術と称するにはあまりに未熟であった。
それにもかかわらず、その時の私もそれらを書いた自分を誇らしく思っていた。
この誇りこそが、「傲慢」なのである。私は、深い文章を書くことができなかった。
かといって、平易で素直な物語に身を委ねることもできない。
そこにあるのは、ただの虚無である。私は、文学に見放された。
血管の中に「芸術的な文学」が流れていると信じ、人生の中心に文学性と純粋を据えてきたとしても。それだけでは受け入れられないなのだろう。
おそらくこれは、激しい言葉を書いたことへの罰ではない。
激しい言葉を書けたと思い上がっていた、その傲慢への罰なのであろう。
影
最近、心というものを信用しなくなった。
それは主体の座に据えるには、あまりに軽く、あまりに遅れて動く。
むしろ心は、体がそこに在るという事実の、付随的な影に過ぎぬのではないかと、そう思われてならない。この過去の一年というもの、私は「人は何のために生きるのか」という問いを、執拗なまでに追い回してきた。
答えはどこにも見当たらず、問いだけが私の中に居座り続けた。
一月に入ってから、答えというほど確かなものではないが、少なくとも、問いに対する態度のようなものが、ようやく定まりつつある気がしている。薬を服するようになってから、脳のどこかで、構造の組み替えのようなことが起きたのかもしれない。
それが私の考えを軽くしたのか、あるいは鈍らせたのかは、判然としない。
ただ今の私は、「生きることに意味はない」と同時に、「死ぬことにも意味はない」と、
ほとんど同じ調子で言える地点に立っている。
意味がない以上、死を選ぶ理由も見当たらない。
それゆえ私は、またここで生きている。振り返れば、意識の上では死を望んだことが、かつて幾度かあった。
だがそのたびに、体は黙って承知しなかった。
心がどれほど悲鳴を上げようとも、体は自分勝手に呼吸を続け、
生きる方へと私を押し戻した。
心は、体の主人ではなかった。
心でも意識でも「私」でもただ、体が光の下に立ったとき、否応なく地面に落ちる影に過ぎなかった。
